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2014年8月16日土曜日

演繹主義と実証主義の違い

 一昨日の会合において、宮田氏は「立秋を過ぎたから、もう夏ではなく秋だ。空も高いではないか。」と言う。しかし私はこれに納得できない。この違いはどこから生じるのか。それは、演繹主義に基づいて考えるか実証主義に基づいて考えるかである。
 宮田氏は最初に「立秋」という前提があり、現在をどう解釈するかはそこから導き出している。その後に、「空が高い」というのを自説を補強する材料として述べているのである。これは演繹主義+具体例と言えよう。
 対して私は、季節の実体は物理現象と今を生きている人間の感性によって決まり、今は夏だと思っている。実際に季節が何なのかは置いておいて、実世界に根拠を求める以上、それは年毎に揺らいで、一定不変なものではないと考える。すると、四季の長さを毎年一定に定める立秋等は季節を判断する基準には不適となる。また、宮田氏の「空が高い」という根拠も、結論を決めた後の後知恵によるものに見える。それは秋である理由であるが、同時に「蝉が鳴いている」という「夏である根拠」も存在する。実世界ではこのように「矛盾する状況」が生じるのだから、1つの理由から結論を出してはいけない。また、加えて言えば、「空が高い」が何を指すのか、定義をはっきりさせないといけない。今仮に「空が高く」ても、9月や10月には「もっと空が高い」かもしれない。そうすると、「もっと空が高い」ことを「空が高い」と定義し直すべきとなってくる。何らかの方法で「空の高さ」を計測し、夏と秋の基準を示さなければならない。個人的には晴れた日の空の色彩を光の波長に変換するなり、何か方法はあると思っている。
 結論として言えるのは、実証主義においては①1つの根拠から結論を導出しない②如何なる概念もそれをどう測定するか考える、ことが重要だということである。


(吉村勇志)


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