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1970年1月20日火曜日

第3号短評(大川内・宮嶋)

大川内智海Tomomi Okawachi

東京大学工学部計数工学科

 正直に言って私は酒が得意でないし、ウイスキーのような強い蒸留酒に至ってはろくに飲んだことがない。当然ウイスキーの味など知らないし、この広告を見て、それならウイスキーを試してみようかと思うこともなかった。自社のウイスキーがいかに手間をかけた「本格品」なのかは書いてあっても、その風味についてほとんど言及していないのだ。
 広告を出すのも無償ではない。その掲載までにかかる諸々の費用が、出さなかったときと比べた広義の利益に釣り合わなければ企業は動かない。本格だとか高級だとか、そんな言葉を鵜呑みにして釣られる人間は当時も少なくなかったのだ、と結論したくなる。
 しかし、話はそこまで単純だろうか。いくつか文献を漁って日本におけるウイスキーの歴史を紐解いてみると、面白いことが分かった。当時の日本で国産の「ウイスキー」と称して流通していたのは専らエタノールに砂糖や香辛料を調合したもの、いわゆる模造ウイスキーだったというのだ。当然安価で、粗悪品という認識もあっただろう。
 私はウイスキーが蒸留酒であることを知っているし、大体の製法も把握している。この広告が対象にしているのはそんな舶来かぶれの通ぶった人間ではない。国産ウイスキーと言えば安かろう悪かろう、という固定観念の染みついた市井の愛飲家たちなのだ。ならば大きく描かれた蒸溜釜の絵、更には「清澄な中溜液」という言葉だけでも効果は十分大ということだったのだろう。
(599 字)


宮嶋龍太郎Ryotaro Miyajima

東京藝術大学美術学部先端芸術表現科

 ウイスキーの広告である。おそらく80年ほど前にデザインされた1色刷りで、愛らしい蒸溜釜のシルエットが無骨に描かれている・・・とこの広告を分析してゆくのも良いが、今回の短評企画が進む過程の中である点が気になったのでそちらを書いてみたい。まず、この広告の画像が最初に私の
所に届いた時のそれは、広告がラミネートされ、照明でテカテカに反射し、壁に貼られた広告を斜め横から撮影したものであった。おそらく飲食をする場で掲示されているように感じられた。
 そして数週間後、新しい画像を私は見る事になる。それは同じ広告ではあったが、額に入っていて、撮影も比較的正面から綺麗に写っているものだった。
 この新旧二つの画像を受け取ったとき、私はどちらがこの広告の本来あるべき姿なのか、考えた。確かに額に入れて貴重に扱い、正面から綺麗に撮影した画像はディテールもよく分かるし資料としての価値も高い。 だが一方でこの広告が戦前に張られていた場所というのは、飲食店などで気軽に接することが出来る環境だったのではないだろうか。
 その意味では、あのラミネートでテカテカに反射し、しかも斜めから撮られた画像は、客がウイスキーを片手にあの広告を見る情景がありありと想像できた。
 作品が展示される環境で、受け止め方が全く違ってくる可能性があり、他の短評がどちらの画像を念頭に語っているのか、興味のあるところだ。
(579 字)



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