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1970年1月20日火曜日

第3号短評(高橋)

高橋忠宏Tadahiro Takahashi

東京大学工学部物理工学科

 この文章( 或いは画像) をコンピューターの解析ソフトに入れても、『サントリーのウィスキーを買え』とはアウトプットされない。蒸留方法を述べた文章とその道具の釜の絵が書いてあるだけだからだ。その釜がすごいからサントリーは本格なのだと言う。ウィスキー自体に言及した文章はどこにもない。それでも、僕たちにはこれがウィスキーの宣伝だと分かる。左下のサントリーウィスキーの文字や、左上に瓶の挿絵は蛇足かもしれない。
 一方で書いてある文章は極めて説明的だ。現代のコンピューターでも要約できる。英語翻訳ならほとんど違和感ない形にできるだろう。問題は、僕たち人間がこの広告を一読した後、その文を理解しようとしたかだ。今一度文面を思い返していただきたい。細かい内容は忘れ、『専門性の高いことが書いてある』という認識にとどめ、広告を鑑賞していたことに気づくのではないだろうか。文面への関心が弱いことが、広告への無関心と直結しないのだ。
 人はいつになったら人をつくれるのか。この宣伝をみてこの商品を買いたくなるコンピュータは実現するか。
 ところで、広告の感想に600 字も不要である。広告は人の欲望をかき立てれば十分だし、人の欲とはもっと直截的だからだ。だからこそ、思考に論理と言語を必ず用いるコンピュータにこの広告は作れまい。それにおそらく、コンピューターは、下戸なんじゃないかなとも思ったりする。
(581 字)



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