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1970年1月20日火曜日

第3号短評(中尾・近藤)

中尾光孝Mitsutaka Nakao

東京大学理学部物理学科

 古い広告だな。そして、やっぱり読みにくいな。そういえばなんで昔は右から左へ読んでいたんだろう?または右から左へ書いていたんだろう?左利きの方が多かったのか?よくよく見てみると中央左付近に縦書きの文章がある。縦書きは上から下に書き、読んでいく。一列書いたら左へ移る。これかもしれない。つまり、昔は縦書きが中心だったから、縦書きの左右進行方向が「右→左」であるから、文字が一行の場合( 横書きではない) も自然と右から左へと書くようになったのではないか。小学校の頃の作文を思い出してみる。僕は右利きだったから確かに右手汚れていたな。逆に算数の授業では左利きの友達の左手が汚れていた気がする。つまりここでは利き腕はそんなに関係がなさそうだ。
 横書きが「左→右」になったのは恐らく欧米の言語がそうだからであろう。
 ではそもそも言語における縦書きと横書き、そしてどの向きの合計4 パターンはどのように決まっているのだろう。下から上に書くという言語を見たことがないから、実質的には残り3 パターンが主流なのか。または、縦書きと横書きが併用されているか否かといった観点もある気がする。ちょっと考えても結論はでないけど、面白そうだ。そして、Marginalia の人たちはこれに対する「答え」を書いているような気がしてきた。こんなもんかなあと改めて広告を見てみるとなんだか縦書きの部分さえも読みづらく感じてきた。最近読書が足りないかもしれない。
(598 字)


近藤悠歩Yuho Kondo

東京藝術大学美術学部先端芸術表現科

 ウイスキーを飲んだことは無い。
 僕がウイスキーと関わりをもっているであろうことが一つ。ウイスキーの空き瓶を幾つかもっている。側面にくぼみのある一般的なそれである。そこに、小銭入れの中で邪魔になった一円玉をその都度貯金している。貯めているというよりも溜めている。瓶にはふたの代わりにワインのコルクで栓
をしてある。溜めた一円玉をどうしようという気はない。なぜ一円玉なのか。一円玉以外の硬貨は瓶の口を通らなかったからである。
 小学校にあがったばかりの頃、金縛りによく遭っていた。夜、目を覚ますと枕に突っ伏している。体を動かそうとするが身動きがとれない。何度も体に力を込めても言うことを聞かない。枕に顔を埋めているのでだんだん息が苦しくなってくる。
 苦しくて苦しくてもう意識が遠のいていこうという瞬間、身体は解放される。肺に涼しくて新鮮な空気がさあっと入って体中に酸素が行き渡る。この感覚。ウイスキーの瓶に財布の中のどの硬貨を入れようとしても入らず、最後に一円玉だけがすとんと通ったときと似た感覚を僕に生じさせた。しばらく金縛りには遭っていない。
 僕は、ウイスキーの瓶に一円玉を入れることで、決して嫌な思い出ではない金縛りの記憶を補完させる。
 ふと思いつく。鞄から小銭入れを取り出して、開けてみた。じゃらじゃらと他の硬貨に混ざって一円玉が四枚入っている。早速瓶に入れてこよう。僕は息を吸う。
(586 字)



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